ヒストリー
2017年8月
「ゼロフジゼロ」の前身となる「たったかエドフジ」(日本橋〜富士山頂)が、「走る似顔絵マン」髙嶋氏により企画・開催される。
2018年7月
初の「ゼロフジゼロ」イベントである、お台場〜富士山頂〜田子の浦を踏破する「たったかゼロフジゼロ」が、髙嶋氏により企画・開催される。
2019年10月
髙嶋氏により、日本海岸〜富士山頂〜田子の浦を踏破するイベントが発案される。
この発案を受け、現当法人代表がこれを「本州横断ゼロフジゼロ」と称し計画を具体化するとともに、「本州横断ゼロフジゼロ実行委員会」を組織する。
2020年9月
初となる本州横断ゼロフジゼロイベント「本州横断ゼロフジゼロ(フジ無し)2020」を開催。
新型コロナ感染症の影響により、富士山の登山道の通行規制が解除されなかったため、「フジ無し」として開催された。
2021年7月
「本州横断ゼロフジゼロ2021」開催。
本来の形での初の本州横断ゼロフジゼロ開催となった。
2022年4月
「本州横断ゼロフジゼロ実行委員会」が、特定非営利活動法人(NPO法人)として法人化
法人名称:特定非営利活動法人ゼロフジゼロ
2022年7月
「本州横断ゼロフジゼロ2022」にて、タイムラインシステムを初導入。
2022年11月
「ゼロフジゼロ」が当法人の商標として登録される。
2023年7月
「本州横断ゼロフジゼロ2023」にて、「往復の部(634km)」初開催。
2024年4月・9月
2020年開催の「フジ無し」をレギュラーイベントとし、春季に「春のフジ無し」、秋季に「秋のフジ無し」を開催。
なお、2025年以降のフジ無し開催は、春季に一本化することとなった。
2025年8月
本州横断ゼロフジゼロの前身である「たったかゼロフジゼロ」に倣った、お台場〜富士山頂〜田子の浦を踏破するイベントを、「お台場ゼロフジゼロ」として初開催。